葬儀を営んだ経験で思うこと

葬儀には何度も参列する機会があっても、遺族として葬儀を営む機会は少なく、その場に直面すると戸惑うことばかりだと思います。
私の場合は、父と義父の葬儀に遺族として葬儀を営む側の経験をしました。

父の葬儀は、私達兄弟が現役のサラリーマン時代のことで、多くの参列者が訪れることが推定され、また母のみすぼらしい葬儀にならないようにという意向もあり、全国展開の老舗の葬儀社の会館で営みました。

お寺さんは、実家の仏壇に月命日にお参りをしてもらっている所にお願いしました。
葬儀社との間では、最初に費用に大きく影響する祭壇のランクを決め、後の細かい事は葬儀社の担当者に相談したり、指示してもらって、夢中で処理し、いつの間にか終わったという感じでした。
一方の義父の葬儀は、手配は女房の兄が行ってくれたのですが、しめやかに、かつ安く葬儀を上げたいという意向で、家族葬を選びました。
参列者は義母、子供、孫、曾孫の総勢16名の本当に遺族だけの葬儀でした。
この両方の葬儀を経験して、葬儀の持つ意味の両側面を感じました。

もちろん、葬儀は故人を弔い、天国に送る儀式ですが、遺族にとっても意味がある事ことなのです。
元々、葬儀が大変であることは、この大変さが遺族の大きなショックを緩和してくれる役割を持つとも言われており、まさに父の葬儀ではバタバタとして涙を流す暇さえなく、この言葉の意味を実感しました。

一方で、通夜や葬儀では故人を偲び、しめやかに故人の思い出話などをするという側面もあります。
家族葬では、さほどバタバタすることもなく、葬儀の時にも僧侶や葬儀社の担当者まで交えて義父の思い出を話すことができました。
しかし、近所の人の参列もなく、少し寂しすぎる感じもしました。
費用は父の葬儀は400万円近くが掛かり、義父の葬儀は80万円ほどで済みました。
費用もさることながら、極端な葬儀を遺族として体験し、両方の葬儀の中間程度の規模で、遺族と親族と近所の方や親しい友人だけに知らせ、こじんまりとした一般の葬儀が私の心にはぴったりくると思いました。

最近は葬儀費用も明朗で安くなりつつあり、また葬儀の形式にも選択肢が増えています。
とはいえ、小規模すぎる葬儀も考えものだと実感しています。
葬儀を営む機会には、この記事も参考にしてもらい、費用の面の他に、葬儀の特徴を考えて選択されることをお勧めします。